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札幌高等裁判所 昭和59年(う)161号 判決 1985年3月12日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人花本に関する控訴の趣意は、弁護人山口均、同上口利男提出の控訴趣意書、被告人中川に関する控訴の趣意は、弁護人村松弘康提出の控訴趣意書(ただし、同趣意書の第一の六は陳述しない。)にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

弁護人山口、同上口提出の控訴趣意書第二、一について

所論は、原判示第一の一、二の各サービス券はいずれも一見して真券と異なるものであり、特に今日の百円紙幣の流通状況の下では誤認混同の危険性は考えられないから、右サービス券は通貨及証券模造取締法一条にいう「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」に該当しないのに、これに該当するとした原判決には法令の適用の誤りがある、というのである。

そこで、関係証拠に照らして検討すると、原判決が適切に指摘しているとおり、原判示第一の一、二の本件各サービス券の表面は、真正の日本銀行発行の百円紙幣を基にして、四色写真製版の方法により、これと同寸大、同図柄かつほぼ同色にしてオフセット印刷した精巧なものであり、紙質も類似する上質紙を用いており、ただ、注意して見ると、紙面の上下二か所に「サービス券」の文字が付加され、あるいは紙幣番号を電話番号にしたり、「日本銀行券」との表示部分を店名に変えたりしているが、それらの文字又は数字はいずれも小さく、しかも真正の紙幣の該当部分の色彩に似ているため、全体としてこれを見ると、際立つた相異点といえるものではなく、右印刷面をみる限り、本件サービス券は真正の百円紙幣に十分近似する外観を備えているものである。また、右百円紙幣については、昭和四九年八月一日に支払(発行)停止措置がとられているが、それまで約二〇年間にわたつて発行され、現時における実際の流通は皆無に近いが、法的には今なお通用力を有し、かつ多くの人々の認識においても通用力を有するものと信じられていることは否定できないから、その用い方いかんによつては、相手方をして真正の百円紙幣と誤認させるおそれがあるとみるべきである。もつとも、その裏面には広告の文言などが印刷されており、真正の百円紙幣と誤認される余地はないが、通貨及証券模造取締法一条が禁止しようとする対象物は要するに模造品であつて、刑法の通貨偽造罪の禁止する対象物ほど高度の外観近似性を必要とするものではなく、判例上も「紛ハシキ外観」かどうかを決定するに際し表裏を一体としてみることは必要とされていないのであるから、本件各サービス券が百円紙幣に「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」に該当すると解すべきことは明らかである。論旨は理由がない。

前記控訴趣意書第二、二について

所論は、原判示第一の一、二の各行為は、その動機、態様、結果からして全く非犯罪的なものであり、通貨及証券模造取締法が予定する自由刑をもつて規制する程度の実質的違法性はないから、本件について可罰的違法性を認めた原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

しかしながら、原判決が指摘するとおり、本件各模造紙幣が真券とはなはだ紛らわしいこと、製造及び頒布した枚数の多いことなどに徴すると、被告人花本の本件各行為が可罰的違法性を欠いているなどとは到底いえず、この点に関する原判断は相当であり、論旨は理由がない。

前記控訴趣意書第一及び第二、三について

所論は、要するに、被告人花本は原判示第一、一、二の各サービス券の作成について違法の意識を欠き、これを欠くことについて相当な理由があつたのに、原判決が原判示第一、一について違法性の意識があり、また原判示第一、二について違法性の意識はないといえる程度であつたが、その点について相当な理由があつたとはいえないなどとして、同被告人を有罪としたのは、事実を誤認し法令の解釈適用を誤つたものであるといい、その事由を詳論するものである。

そこで検討すると、関係各証拠を総合すると、この点に関して、原判決が「弁護人の主張に対する判断」四、2、(一)ないし(八)において認定している事実はすべて当裁判所においても肯認することができ、かつそこで示されている法律上の判断もおおむね正当としてこれを是認することができるが、所論にかんがみ、更に若干補足して述べると、次のとおりである。

まず、関係各証拠によると、被告人花本が原判示のサン写真製版所に依頼して原判示第一、一、二の各サービス券を印刷させて製造したこと、原判示第一、一のサービス券の製造前に、同製版所側から百円紙幣の表面とほぼそつくり同じ印刷のサービス券を作成することはまずいのではないかなどといわれたため、札幌方面西警察署防犯課保安係に勤務している知合いの野崎巡査を訪ね、同人及びその場にいた中山係長に相談したところ、同人らから通貨及証券模造取締法の条文を示されたうえ、百円紙幣と紛わしいものを印刷することは右条文に違反することを告げられ、印刷紙面の大きさを変えるとか、「見本」、「サービス券」などの文字を入れなければいけないなどと助言されたこと、しかし、同被告人は、その際の同警察官らの態度が好意的であり、右助言も必ずそうしなければいけないというような断言的なものとは受けとれなかつたことや、当時同被告人としては右百円紙幣が市中に流通することは全くないと考えており、そのうえ、表面の印刷が百円紙幣と紛わしいものであるとしても、裏面には広告文言を印刷するのであるから、表裏を全体としてみるならば百円紙幣と紛わしいものとはいえないと即断し、なお、その後、写真原版の製作後、製版所側からの忠告により、「サービス券」の文字を入れたこともあり、百円紙幣と同寸法の原判示第一、一のサービス券を作成しても処罰されるようなことはないと考えていたこと、次いで、原判示第一、一のサービス券の製造後、再び西警察署の野崎巡査らを訪れ、これを示したところ、同巡査らから、「ずい分似ているなあ」ということを言われただけで、なんの注意も受けず、かえつて同巡査らが同室の他の警察官らに右サービス券を配付してくれたりしたので、ますます安心し、その後更に印刷内容に若干の工夫を加え、原判示第一、二のサービス券の印刷を依頼しこれを製造したことなどが明らかであり、なお、右製造にかかる各サービス券が通貨及証券模造取締法一条にいう銀行紙幣に紛わしい外観を有するものに当たると解すべきことは既に説明したとおりである。

そこで、このような場合、同被告人の右サービス券の製造行為について、同条違反の罪の成立を肯定すべきかどうかであるが、一般に、ある行為者の行為が客観的に一定の刑罰法規の構成要件に該当するとともに、行為者がその行為の全ぼうについて認識していた場合には、たとえ行為者において自己の行為が特定の刑罰法規に触れるものであることについて法的認識がないだけでなく、なんらかの事情により、自己の行為が法的に許されたもので処罰などされることはないと信じていたとしても、そのことから直ちに犯罪の成立が否定されるものではないと解すべきである。そうでなければ、各行為者個人の主観的な考え方、信念、知識等の違いにより、ある人については犯罪が成立し、他の人については犯罪が成立しないというはなはだ不規則で、不均衡な事態が生じ、法秩序は個人の主観的な価値基準などによつて左右されてしまうからである。多くの判例上も、たまたまその行為者がある刑罰法規について詳しい知識がないか又は誤つた知識をもち或いは軽率な判断をしたため若しくは他人の意見を安易に信用したりした結果、自己の行為がその刑罰法規に触れないと考え又はそのように信じたからといつて、処罰を免れるものではないとしており、当裁判所も基本的にはこのような解釈が正当であると考える。しかしながら、特別の事情が存在し、その行為者においてその行為が許されたものであると信じ、かつそのように信ずるについて全く無理もないと考えられるような場合には、刑法の責任主義の原則に従い、もはや法的非難の可能性はないとして、例外的に犯罪の成立が否定されると解すべきである。それでは、どのような特別の事情が存在した場合、この例外的な判断を下すべきかが問題であるが、本件についていうならば、本件の刑罰法規に関し確立していると考えられる判例や所管官庁の公式の見解又は刑罰法規の解釈運用の職責のある公務員の公の言明などに従つて行動した場合ないしこれに準ずる場合などに限られると解するのが相当である。そうすると、本件において、被告人花本が、原判示第一、一のサービス券の製造前に西警察署を訪ね、知人の警察官やその場にいた警察官に相談し、種々助言を受け、その際の助言内容や警察官の言動、態度などから考え、原判示第一、一のようなサービス券を作成しても処罰されることになることはないと考えたとか、また、それを製造した後、その一部を持参して再び右警察官らに会い、警察官らにこれを示したが格別の注意、警告を受けなかつたので安心して原判示第一、二のサービス券を作成することにしたとか、あるいは、同被告人が日頃から百円紙幣が市中に流通することがなく、また原判示第一、一、二程度の模造紙幣が頒布されているのに警察問題にされることなく放任されているので、このようなサービス券を作成しても問題にならないであろうと考えたというような事情だけでは、前記の例外的な判断を下すべき特別の事情が存在するというに足りない、というべきである。

したがつて、原判決が、被告人花本の各行為について違法性の意識を欠きかつそれを欠くことについて相当な理由があるとはいえず、犯罪の成立が否定される場合にあたらないと判断したことは相当であり、原判決に所論の事実誤認ないし法令の解釈適用の誤りがあるとはいえない。論旨は理由がない。

弁護士村松の控訴趣意について

所論は、要するに、被告人中川の原判示第二の犯行について、同被告人には違法性の意識がなく、かつこれを欠くことについて相当な理由があつたのに、原判決が同被告人には違法性の意識はなかつたが、これを欠くことについて相当な理由があつたとはいえないとして、通貨及証券模造取締法違反の罪の成立を認めたのは、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものである、として、その具体的事由を詳論するものである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、この点に関して、原判決が「弁護人の主張に対する判断」四、2、(一)ないし(二)において認定している事実は、すべて当裁判所においてもこれを肯認することができ、かつそこで示されている原判決の法律上の判断もこれを是認することができる。被告人中川は、原判決が指摘しているとおり、被告人花本の話を信頼したほか、近時百円紙幣が一般に流通していないことや、サン写真製版所において被告人中川の注文にたやすく応じてくれたことなどから、原判示第二のサービス券を製造しても処罰されることはないと考え、違法性の意識を欠いていたことは認められるが、このような事情だけでは、同被告人について前記の刑罰法規違反の罪の成立を否定すべき例外的場合に当たるということはできず、その他所論指摘の事情を参酌し本件各証拠に現われた一切の事情を考慮しても、同被告人において原判示第二のサービス券を製造することが許されたものであると考えたことについて無理からぬ事情があり、法的非難を加えることができない場合に当たるということはできない。同被告人が違法性の意識を欠くことについて相当な理由があつたとはいえず、違法性の意識の可能性があり、前記違反の罪の成立を否定できないとした原判決に所論指摘の事実誤認あるいは法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

(なお、原判決に「紙弊」とあるのは、「紙幣」の誤記と認められる。)

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(渡部保夫 横田安弘 肥留間健一)

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